二つの人権をめぐる会話

当社では、海外に調査員のネットワークを持ち、Eメールでのやりとりも加えて、定期的な訪問を通じて、海外SRIやCSRの最新動向に触れる努力をしております。何をもって企業の社会的責任とみなすかについては、その国の文化や経済的発展段階の違いを考慮しなければならないというのは、既にコンセンサスになっています。しかし、違っていることがわかるためにも、まずは情報開示が必要なわけです。今回は、ドイツのバイエルン州の調査員とHuman RightsとCivil Rightsの違いについて意見を交わしました。

彼に言わせると、Civil Rightsは文明の発展段階と共に出てくるものであり、civilizedされた国での権利、たとえば民主主義の国では選挙権、voting rightなどが例に挙げられます。一方Human Rightsは、もっと人間本来の権利で、文明の程度に左右されない、人間としての基本的な権利がHuman Rightsであり、これはユニバーサルなものです。そして、中世のヨーロッパにはHuman Rightsはなく、遠くギリシャ時代にはあったのだけれども、人々はそれを忘れてしまったのだそうです。ドイツにスポーツクラブがたくさんあるのも、 200年程前、政治的集会が禁止されていたので、スポーツに名を借りて集まり、圧制に抗すべく、立ち上がったから、ということでした。そこで2人で、 Human Rights(H.R.)とCivil Rights(C.R.)を数えあげてみました。

ロシアの農奴制が廃止されたのは1900年代のため、それまでロシアにはH.R.はなかったことになります。旧ソ連には選挙の自由(Freedom to vote)がなかったので、C.R.はありませんでした。Freedom to voteには、active right to vote (選挙権)とpassive right to vote(被選挙権)があります。Equal opportunity for educationはC.R.です。女性であろうが、マイノリティであろうが、貧乏であろうが、同じ一票の投票権があるというのはsame voting rightでC.R.ですね。Freedom of Faith(信仰の自由)はH.R.、Freedom of movement(移動の自由)はH.R.、Freedom of expression(表現の自由)もH.R.ですが、Freedom of association(結社の自由)やFreedom of press(報道の自由)はC.R.になります。

ところで、死刑はHuman Rights(基本的人権)に反しているというのが、ヨーロッパの常識だと彼は言います。EUのメンバーになろうとするいかなる国も、死刑制度を廃止しなければなりません。ドイツでは1945年に死刑制度が廃止されました。それは、ナチズムの時代に、政治的な理由で、あまりに恣意的に制度が歪められ、たくさんの人が犠牲になったからなのだそうです。ですから、EUに加盟を申請しているトルコも死刑制度を廃止せねばならず、逮捕され死刑を宣告されたクルド独立運動のリーダーも、最近終身刑に減刑されたのだそうです。「今だに、死刑制度がある中国と米国は、人権無視の二大大国」と言われ、「日本も…」と小声でつぶやいた私でした。死刑を廃止しても、別に犯罪率は上昇していないそうです。ヨーロッパでは1960年代に、殆どの国が死刑制度を廃止したそうです。

日本企業が、海外SRI投資家の投資対象になることは今後ますます増えてきます。11月4日付の新聞VDI Nachrichtenでは、ヨーロッパの50%以上のファンドマネージャーが、日本への投資に前向きであり、既に投資しているところも、日本株の比率を上げていくと書かれていました。人権についての質問など、何を今さらと、思うこともあったのですが、背景には、1960年代から始まるHuman RightsとCivil Rightsをめぐる、ヨーロッパ思潮の、とうとうたる流れがあることをあらためて感じました。”基本的人権”ならぬ”基本的質問”にもきちんと答えていくことが大事ではないでしょうか。

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