「21世紀の資本家」 その2

世界で SRI が大きな潮流になっていることには、労働組合の力が大きいことは、歴史的事実と言えます。2013年に、ブリュッセルで ITUC(International Trade Union Confederation)書記長のシャラン・バローさんにお会いする機会がありました。元オーストラリアの、労働総同盟(日本の連合にあたる)の会長から世界組織のトップになったバローさんは、若い時は環境運動の活動家でした。オーストラリアの「連合」を率いていた 2003 年に初めてお会いした時、すでにオーストラリアの労働組合は株式市場の重要性に理解があり、オーストラリア労働総同盟も、組合員に対して、株式投資への理解を深めるための情報提供をするサービス会社を自前で持っているほどでした。オーストラリアでは、2001 年に金融サービス法を改正し、民間の年金商品は、株式に投資する際、企業の環境的、社会的パフォーマンスをチェックすることが義務づけられたほか、労働党政権下で年金改革が進み、いわゆる確定拠出型の年金制度(Superannuation Fund)が導入されたことも背景にあります。

バローさんによれば、年金基金の運用資産は増大しており、経済に大きな影響を与えて

います。年金資産が一国の GDP を超えている国はオランダ、スイス、アイスランドであり、OECD 加盟国全体平均では GDP の 67%にのぼっているそうです。イギリスは 81%、オーストラリアは 82%でした。フォーチュン 1000 社の企業群の株式の 73%は機関投資家が保有しており、そのうち年金基金は最大のオーナーであり、30%を保有しています。年金を拠出しているのは、雇用主と従業員の双方なのだから、労働組合は年金基金、特に公的年金のステークホルダーとして、その運用方針について責任があり、ESG(Environment:環境、Social:社会、Governance:ガバナンス) のファクターを組み込んだ投資をするのは当然であるとのことでした。

これは、まさしく経営学者のピーター・ドラッカーが、1970年代に予言した、企業年金や年金基金を通じて株式を保有することで、生産手段を所有する、すなわち“資本家になる”ということではないでしょうか。

日本でも、1999年に日本労働組合総連合会(連合)が、鷲尾委員長のもと、SRI、エコファンドへの投資を機関決定しており、実際、日本初のSRI商品エコファンドは、教職員の労働組合および地方公務員の労働組合、自治労(全日本自治団体労働組合)によって投資されたのです。

しかしながらその後、ITバブルがはじけたことで、世界の株式市場は低迷、エコファンドが先鞭をつけた日本のSRI/ESGマーケットの拡大も、長い停滞を余儀なくされ、着々と先行する欧米に、一周も二周も遅れることとなりました。2008年のリーマンショックにより、特にヨーロッパで、SRIこそがシステムとしての資本主義の脆弱性をカバーする新しい金融システムになりうるのではないか、とSRIのメインストリーム化の議論が進みました。

日本でも、2010 年の末には、日本労働組合総連合会(連合)が、ESG への配慮を盛り込

んだ運用ガイドラインを策定・発表しており、日本のSRI業界に大きな変化をもたらすき

っかけとなることが期待されました。さらに、2012 年 1 月には、全国市町村職員共済組

合連合会が、国内株式を対象とした ESGインデックスをベンチマークとする国内パッシブファンドについて、運用会社の公募を行いました。ESG を重視して積極的に取り組む企業は、経営上のリスクが軽減され、その持続性が確保され、ひいては社会全体の持続的発展に寄与するととらえる、公的年金のような投資家が増えることで、日本の SRI 市場がさらに拡大することが期待されました。

このように、投資活動における労働組合の行動は、とても大きな力を持っていると言えます。

たとえば、企業がどれだけ労働者の報酬に利益を回したかを示す、労働分配率の高い企業に、労働組合の資金を投資することによって、主要国のなかで、労働分配率が低下している日本の状況に、一石を投じることもできます。日本の労働分配率は、1977年に76.1%あったものが、2011年には60.6%、2018年には48.7%(2019年経済産業省企業活動基本調査報告)になっています。

実質賃金も、リーマンショック以前の2007年の水準に戻っていませんが、先進国ではリーマンショックを受けても、ドイツ、米国をはじめ、北欧諸国、韓国などの実質賃金は上昇してきています。

日本では、社員持株会のある企業も多く、つまり社員であると共に株主(資本家)であるという立場で、働く人にとってより良い会社と社会をめざす、さまざまな提案が、投資家、株主、資本家という立場で、できるはずです。

ある有名な労働組合トップと、そのような話をした時、「労働分配率の計算はなかなかむずかしくて……」とか、「働く仲間の会社を、あの会社はESGで良いとか悪いとか、労働組合が格付けするのはどうも……」と言われたことは、大変印象的でした。

シャンソンの名曲「さくらんぼの実る頃」は、フランスの女性革命家ルイーズ・ミッシェル(1830―1905)にささげられています。世界初の労働者による自治政府パリコミューン(1871年)の立役者だった彼女の有名な言葉に「人は心によって革命家となる」というものがあります。そのでんで行けば、「人は心によって資本家となる」のでしょうが、日本の多くの労働者は、豊かな「資本」を手にしながら、団結してその資本を動かし、「労働者にやさしい資本家」になることで、革命を起こせることに気がつかないのは、まさしく「心によって資本家となる」ことができていないからではないでしょうか。

もともと、「資本」には良いも悪いもなく、良く動かせば「良い資本」に、悪く動かせば「悪い資本」になり、したがって「良い資本家」と「悪い資本家」ができることになります。

160兆円以上を運用する世界最大の公的年金、ニッポン最大の株主である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の積立金は、もともと個人の年金が原資であり、生命保険会社が運用している責任準備金も、個人の保険料です。日本株を中心に構成される、上場投資信託(ETF)を購入し続けて、その残高が30兆円になろうかという日本銀行も、公的な機関です。

このように考えると、私たちは皆、ある意味で資本家であり、どのように資本を動かすかについて、意識的であることが、個人の社会的責任と言えるのではないでしょうか。そのためにひとりひとりが、今私たちが生きている、この資本主義社会というシステムと、そのメカニズムについて徹底的に学ぶこと、理解することが必要であり、また人々の金融リテラシーを高めることで、個人の自由で主体的な金融行動の選択を可能にするのは、国家と金融機関の社会的責任でありましょう。筆者は、労働組合の役割のひとつに、団結して組合員の現在の生活を守ると共に、未来に向けて、より競争力のある個人として、労働市場に対峙できる力をつけていくようサポートすることだ、という個人的意見を持っています。ですから労働組合が、1999年の日本におけるSRI/ESG投資の黎明期をけん引し、またステークホルダーとしてGPIFの運用委員会を構成し、GPIFが年金運用に際してESG導入に踏み込むよう、粘り強く働きかけたにもかかわらず、「労働組合自身の資本戦略」とはとらえなかったことを、残念に思っています。

労働組合の資金を戦略的に投資することによって、労働市場と資本市場にどれほどの大きな影響を与えられたことでしょう。大企業・正社員中心の日本の労働組合は、ある意味恵まられた労働者中心であったが故に、“戦う”という動機が希薄であったということでしょうか。

筑紫 みずえ

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