「21世紀の資本家」 その1

3月20日に公開されて、評判になっている「21世紀の資本」という映画を、鑑賞してきました。これは2013年にフランスで出版され、2014年春には38カ国で刊行され、300万部という世界的なベストセラーになった、経済学者トマ・ピケティの原作を、ピケティ氏自身が監修・出演し、ニュージーランドを代表するペッパートン監督と協働して、103分の映像にまとめたものです。

「21世紀の資本」は、日本でも13万部のヒットを記録しましたが、700ページを超える大著ということで、実際に読んだ人より、解説本の方がたくさん読まれたのではないか、と揶揄されました。

当社でも2015年、あるアナリストがこの大著を読破、解説本の分析も含めて15ページにまとめたものを、当社のクライアントや、調査対象企業の担当者に提供して、大いに喜ばれたことがあります。

「21世紀の資本」で言われていることは、それほど難しいことではなく、「資本収益率は経済成長率を上回る」ということです。

しかし、ピケティ氏のすごいところは、これが膨大なデータによる実証研究だということです。欧米を中心に200年超、ものによっては300年にわたる各国の税務記録を分析、資本主義経済では、資産を運用して得られる利益率r(資本収益率)が、働いて得られる所得の伸びg(経済成長率)を、世界大戦後の資本破壊時を除いて、常に上回ること(r>g)を証明しました。

ピケティ氏によると、先進国の資本収益率(r)は200年にわたり、平均4~6%の収益をあげましたが、経済成長率(g)は平均1~1.5%で推移しており、今後もこの傾向は続き、この状態を放置すると、各国で格差、不平等が拡大し、社会不安をもたらすとしています。そのため、各国が協調して所得と資産に対する「累進課税制」の導入を提言しているのです。

しかし、ピケティ氏の警鐘にもかかわらず、その後も格差は広がるばかりの状況に危機感を持って、この映画の制作に関わったとみられます。

そこには、ピケティ氏の個人的な成育歴があるのではないでしょうか。実はピケティ氏の両親は、あの1968年のパリ五月革命の学生運動の闘士であり、その後パリを離れて、片田舎で農業に従事し、自給自足でトマトなどを作っていて、ピケティ氏の子ども時代は本当に貧しかったらしいのです。しかし、フランスは教育費が無料であり、貧しくとも能力のある子どもに対して、高等教育への道が開かれていることが、ピケティ氏の現在をつくったと言えます。

事実婚の前妻は、オランド内閣の大臣だったMs Audrey Filipettiで、夫婦げんかの果てにDV(家庭内暴力)で彼を訴え離婚、今は12歳下の南米出身の経済学者の奥さんと事実婚と、フランスの友人達からの情報です。

そういえば、世界を震撼させた、あのウィキリークスの創設者アサンジュ氏の両親も、1970年代ヒッピーのフラワーチルドレン運動の活動家です。アサンジュ氏は、家庭で母親から教育を受け、まともに学校に行っていないとオーストラリアのメディアが伝えておりました。

それを思うと、何か「世代を越えて革命至れり」という感じもします。ピケティ氏、アサンジュ氏の両親にとって、息子の成し遂げたことについては、感慨深いものがあるに違いありません。

中国にも「100年の後に知己を待つ」という言葉があります。日本のSRIも、孫の世代で花開けばよいのではないか、とも思っていたのに、今や猫も杓子もSRI、ESG、SDGsと唱えている時代に立ち会えたのは、僥倖と言うべきでありましょう。

ピケティ氏は2015年の東京での講演会で、経済の低成長が続いている日本などの先進国で、「この数十年間、不平等が拡大している」と警鐘を鳴らしました。これまで、資本主義国では、経済成長とともに生まれた富を多くの人が分け合い、皆が豊かになれると広く信じられてきましたが、ピケティ氏は著書で、株式や債券などの資産を元手にして得られる利益は、経済成長によって一般の人が得られる所得より、大きく伸びる事を証明しました。

ピケティ氏は講演で、「戦後は、資産家も貧しい人たちもバランスよく、成長できた時代だった」と指摘しつつ、長い目で見れば例外的なケースだったと説明しました。戦争による破壊で資産が失われた上、高度経済成長の中で、所得の多い人から多めに税金を取る累進課税も広がったからだ、としました。

しかし、1980年代から先進国では、富裕層に資産が集中する傾向が強まっており、日本についても「人口が減り、低成長が続くため、相続で引き継がれる資産の価値が、より高まっている」と述べています。そのうえで、先進国の特徴として「相続財産に依存する『世襲社会』が戻ってきた」と分析し、経済の専門家と一般の人との間に、距離があり過ぎることも問題視。「経済問題は、少数の経済学者に任せるにはあまりにも重大だ。普通に人は自分の意見を言えるようにしたい。著書を通じて、経済的な知識の『民主化』に貢献したかった」と述べました。

映画「21世紀の資本」では、「ウォール街」「プライドと偏見」「レ・ミゼラブル」など、名作映画や小説などのエピソードをふんだんに使い、過去300年の世界の歴史を「資本」の観点から、ビジュアルに見せています。また、ピケティ氏は映画の中で、世界中の著名な政治・経済学者と共に、本で実証した、資本主義社会の諸問題をやさしく解説しており、2015年の来日の際に述べた、「経済知識の民主化」の一環として、この映画の制作に着手したのだということが、よくわかります。そこには、いかにもフランスらしい「知識人の社会的責任」のとり方を感じます。第二次世界大戦後のフランスで、サルトル、ボーボワール、カミュなどの知識人たちが実存主義をかかげ、アンガージュマン(社会参加)こそ、知識人の責任と、積極的な政治的発言と行動により、社会変革をめざした姿に重なります。

ところで、「21世紀の資本」の最大の眼目は、「資本収益率が経済成長率を上回る」というものですが、それならば、すなわち資産運用におけるプロセスに、SRI―ESGを組み込むことで、社会、経済システムそのものの変革が可能になるのではないでしょうか。

1970年代、経営学者のピーター・ドラッカーは「見えざる革命」(ダイヤモンド社)において、「年金基金社会主義」を唱えました。ドラッカーは、アメリカの労働者が企業年金や年金基金を通じて、全産業の株式資本の三分の一以上を保有しており、社会主義を労働者による生産手段の所有と定義するならば、アメリカこそ史上初の真の社会主義国であると述べています。つまり、労働者こそ資本家なのです。年金基金による株式保有率が増えているのだから、年金基金の受益者や、投資信託の個人の受益者が、運用者に指図して、実際の株式売買、議決権行使に際して、ESGで判断するように求めれば、会社が変わり、会社が変われば、社会が変わります。ここに、いくつかの国で、「21世紀の資本」を動かす「21世紀の資本家」は、実は労働者である、という壮大なパラドクスが成立するのです。 実際、1997年に筆者がニューヨークで、アメリカ労働総同盟(AFL-CIO)幹部と面談した時、「Capital Strategy of Labour Union―労働組合の資本戦略」という資料を渡され、「アメリカの金融資産の三分の一は、労働者のものである。我々は、ストライキだけでなく、この資本を使って、働く人にとってより良い社会にしていく。そのためのツールが、SRI(Socially Responsible Investment―社会的責任投資) である」と説明されたのです。

筑紫 みずえ

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